気ままに城跡めぐり「岸岳城」

 
城跡めぐりが好きで、先日、佐賀県唐津市の「岸岳城」に行って来ました。

唐津市の北波多と相知町の境、岸山の山頂部の尾根に曲輪をならべた、連郭式の山城です。

岸岳城が最初に築かれたのは、平安時代と推定されます。

肥前松浦の一大勢力「松浦党」の最大勢力の波多氏が城主でした。

その後、豊臣秀吉の命に背いたとして滅ぼされたと言われてます。

 
岸岳は、鬼子岳とも書き、平安時代、山賊の根拠となり「鬼の住む山」と恐れられていた。

岸岳の全景を見ると、両端が鬼の角が出たようにも見えます。

 
全景画像の、山の稜線左端が「旗竿石」。

右端が「二の丸」、その奥に「本丸」と続きます。

 
岸岳城は、滅亡に関わる、様々な怪奇現象の話が現代にまで伝えられて、「心霊スポット」としても有名です。

 
城主であった波多三河守親が朝鮮出兵の際、豊臣秀吉の逆鱗に触れ、滅ぼされたそうです。

その際に「姫落とし岩」から、女・子供が味方から突落されたり、男たちは集団自害したりと、皆殺しにされたと伝わってます。

地元では彼らを岸岳末孫(きしたけばっそん)と呼び、今でもその怨念がこの一帯に残ってるといわれてます。

 
ゆっくりと山歩き、気楽に気ままに城跡めぐり「岸岳城」です。

■名称:岸岳城
■所在地:佐賀県唐津市北波多
■城郭構造: 山城
■築城年:12世紀
■主な城主:波多氏

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」
(※画像はクリックで拡大)

岸岳城は、標高は320mで、200mより上は切り立った急崖になってる。
駐車場から旗竿石まで20分
旗竿石から本丸まで 30分
本丸から姫落とし岩まで 20分

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

登山道は複数あるが、北波多の稗田側より、車で登れるところまで行く。
車道の終わりに、車を数台止めれる駐車場があり、ここよりスタートする。
暫く、杉の大木の中の平坦な道を進む。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

法安寺からの登山道との出合いに、案内板が設置してある。
右に曲がり、山頂へと向かう。
ここよりは自然林の中、急勾配の道や階段を登る。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

尾根に上りつくと、旗竿石と本丸方面の分岐点。
左の旗竿石方面に、巨石の間を登り、2分ほどで視界が開け「旗竿石」に着く。
旗竿石の先端に、旗竿を立てたであろう直径10cmほどの穴が開いてる。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

旗竿石の下は絶壁になっており、唐津の市街から玄界灘まで一望できる。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

分岐点へ戻り、巨石を回り込み、狭い登山道を本丸方面へ向かって歩く。
ここより東端の姫落とし岩までは1kmほどとなる。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

分岐点から5分ほどで「三の堀切」へと。
堀切の上には、木橋がかけられてます。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

「三の堀切」はこのようになってます。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

「三の丸」の石垣の一部。
三の堀切を渡るとやや平坦な地へ出て「三の丸」となります。
殆ど遺構は残ってません。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

「二の堀切」左側
三の丸と二の丸の間の「二の堀切」
幅10mほど、高さ7~8mほど。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

「二の堀切」右側
近世城郭のよう強固な石垣が残ってます。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

二の堀切から緩やかな登りを進むと「二の丸」周りの石垣の跡が見えてきます。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

「二の丸」跡には、あちこちに石が残ってます。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

二の丸の「伝埋め門」跡。門には見えないが・・・。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

標高は313mになる「二の丸」跡。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

二の丸跡に残る「井戸跡」

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

井戸の内部。
中を覗くと何か居そうで、チョッと怖い。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

「本丸跡」
広々としてます。
東西51間、南北93間であったと「松浦記集成」に記されている。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

「本丸跡」

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

本丸周りの石垣の一部。
殆ど崩壊してます。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

本丸南東端の石垣

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

本丸南東端の石垣

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

本丸から一段降りると、本丸を守った「三左衛門殿丸」となる。
広さはそれほど広くない。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

三左衛門殿曲輪の石垣

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

三左衛門殿曲輪の石垣
角が綺麗に取れた、立派な石垣である。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

姫落とし岩へ向かう途中の尾根。
両脇は断崖である。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

姫落とし岩へ向かう途中の尾根。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

姫落とし岩へ向かう途中の平たい巨石。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

姫落とし岩の手前の巨石。
既に右側下は、断崖絶壁である。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

岸岳の東端部の「姫落とし岩」を手前から撮影。
向こう側は断崖。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

「姫落とし岩」
下は100mほどの断崖絶壁。
岩がせり出てて、真下が見えない。
秀吉に攻められて、波多氏の姫君や女・子供が、ここから飛び降りたという伝説がある。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

姫落とし岩より、八幡岳方面。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

姫落とし岩より、天山方面。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

姫落とし岩横の「抜け穴跡」
ここをから抜け出したという話もある。また財宝の隠し場所との伝説もある。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

「抜け穴跡」の内部。
中を覗くが宝は見えない。

 
気ままに城跡めぐり「岸岳城」

抜け穴跡横に建てられてる「鬼子岳末孫之碑」

 
抜け穴跡先より、下に下る登山道もあるが、一部崖で危険箇所もあるので引き返す。

 
【波多氏いついて】

平安時代から戦国時代に肥前松浦地方で組織された武士団を「松浦党」といい

今の佐賀県内にあたる上松浦党と、長崎県の平戸・五島一帯の下松浦党に分けられる。

 
波多氏は上松浦党の最大勢力となり、一時は壱岐島まで支配した。

戦国末期、有馬氏からの養子である、波多親は後継争いにより、重臣の日高氏・鶴田氏から追放されたが、竜造寺氏、有馬氏を後ろ盾に、岸岳城に戻った。

秀吉の九州征伐時では、当時島津氏と友好的なため、改易されかかったが、鍋島直茂のとりなしで許された。

しかし、文禄の役での不首尾を理由に改易され、波多氏は没落、上松浦党の多くは離散した。

 
波多親の後妻の秀の前は、竜造寺隆信の養女であった。

三国一の美女といわれた、秀の前の美しさを伝え聞いた、名護屋城在陣の秀吉が、

名護屋に呼び出したが、拒んで怒りを買い、波多親が処罰されたという伝説もある。

 
整備された城跡も良いですが

山の中の、朽ち果てた石垣などを見るのが好きです。

 

気楽に気ままに趣味生活

ゆっくりと山歩き、城跡めぐり「岸岳城」でした。